『見知らぬ乗客』
「Strangers On A Train」(1951年 アメリカ)
 全ヒッチコック作品から1作を選ぶとしたら皆さんは何を選ぶでしょう。個人的には50年代後半から60年代初めにかけてのハリウッドの贅を尽くした作品群も好きですが、『サボタージュ』(36年)『バルカン超特急』(38年)『レベッカ』(40年)『逃走迷路』(42年)といった30年代から40年代にかけて作られた燻し銀のような作品はもっと好きで、その間に挟まれた時期がこの『見知らぬ乗客』の辺り。"完成される一歩手前が一番魅力的"だとする自分の中の法則によれば、ヒッチコック映像芸術完成の"一歩手前"がまさに本作と言えるでしょう。
 恋人との新しい生活のために妻と別れたがっているテニス・プレイヤーのガイはある日、電車の中で見知らぬ乗客に話しかけられます。その男は「妻を殺してやるから俺の親父を殺せ」と交換殺人を持ちかけますが、動機が存在しない完全犯罪の話をただの冗談だと思って軽く受け流したガイは、その直後妻が本当に殺されたことを知ります…。眼鏡やライターといった小物の使い方、緊迫するテニスの試合シーン(観客がボールを追って左右に首を振る中、犯人だけが真っ直ぐこっちを見ているという演出の秀逸さ!)、暴走する回転木馬のクライマックス、映画史に残る名シーン続出です。
 ヒッチコック作品の面白さは"誰でも明日巻き込まれるかもしれない怖さ"だと思います。明日いきなり自分が蜘蛛男になったり、突然大氷河期が来たりすることはまずないけど、他人に付きまとわれたり、ヤバいものを目撃したりということは日常にありそうですよね。そんな些細でリアルな切っ掛けから一大サスペンスまで無理なく持っていく演出力と、そういう脚本を選ぶ着眼力。凄いです。